自律神経破壊寸前
今回はセルビアなんか大嫌いという話。
セルビアに住み始めてまもなく4ヶ月を迎える私ですが、実はまだ外国人登録証、配偶者ビザのいずれもまだ持っていません。 日本人のパスポートでのノービザ滞在期限は3ヶ月ですから、不法滞在ということになります。
もちろん、日本を発つ前からしかるべきところに手続きや書類の質問をして、準備してやってきたわけです。 それなのに・・・ 市役所も警察も、窓口を訪ねるたびに違う担当者がいて違う指示をし、右往左往させられて散々な目にあっています。
ちなみに、私たちは日本で婚姻届を出しました。 セルビアでの婚姻手続も可能だけど、色々めんどくさい目にあうから、と東京のセルビア語の先生にアドバイスを受けたからです。 それがどんなに正しかったか、後々噛み締めて知ることになろうとは。
実際には、今さっき、「登録証とビザができたから、月曜日に取りに来るように」という指示を電話でもらったところですが、これまでの長すぎる道のりを思うと、まだなんかあるんじゃないかという気がして、実際に手にするまでは安心できないのです。
セルビア人って、個人的にはいい人たちなんだけど、これが組織になると、警察も市役所も、全然機能しない、信用ならないんですよね。 ビューロクラシーとかじゃなく、それ以下のレベル。 まともに話をしようとすると自律神経が破壊されます。
この後は、超長文のため、ご興味のある方だけどうぞ。
もし今後セルビアに住まれる方がいらっしゃれば(どんだけいるんだろうか)、参考にはなるかと思いますが、諸手続きや準備などは、在セルビア日本大使館に確認される方が、これを読むよりずっと早くて確実かも・・・ :) それから、市や町ごとに提出書類が異なる場合もあるので、やっぱり現地の役所に確認することは必要です。
追記(3月14日)
今回、婚姻証明発行の件で日本大使館にお世話になりましたが、誤解のないように付け加えますと、基本的には、日本大使館が邦人の滞在資格を取得するために当地関係機関に働きかけることはできません。 この国の場合、在留邦人が100名程度しかいないということもあり、丁寧に面倒を見てもらえた部分が大きいのだと思います。 いざというときに頼って行くところだとは思いますが、わざと手続きを怠っておいて困ったときに泣きつくというのは、やっぱりアウトでしょう(それでも助けてくれるのかもしれないけど)。
■出国前の調査 〜 悪夢はすでに始まっていた
まず手始めに、昨年8月に在日セルビア大使館に必要書類、手続きについて問合わせ。
「日本で結婚なさるのですね。 それでは役所で婚姻証明をもらって、セルビア語に翻訳したものを自分で作成してください。 当大使館で、その翻訳が正しいという証明スタンプを押印します。 セルビアに行ってから、それを向こうの市役所に提出すればOKです。 あとはあちらでの指示に従ってください」。 普通に短期滞在者として入国し、後の手続きは現地でOKだという。
ダンナサマはダンナサマで、セルビア外務省や法務省等のウェブサイトを調べたが、きれいな写真やお役人の挨拶ばかりで肝心の情報は何もなく、問合せ先すら書かれていない。
ニシュ市役所の担当者に聞くと、「日本のセルビア大使館で婚姻証明書をもらってください」と言う。 アホか。 なんで日本のセルビア大使館が婚姻証明書を発行するねん。 仕事が分かってないなあもう。
外国人管理は警察の管轄なので、彼は地元警察にも出向いた。 彼いわくすごくイヤーな感じのオールドミスが、「まずニシュ市役所で婚姻証明書をもらってきてください。 そしたら手続きを全部教えてあげます」。 別に今教えてくれたっていいじゃない? まあそう言うなら仕方ないので、そのままに。 (このオールドミスが諸悪の根源。 彼女は百万回殺しても足りない)
仕方なく彼は、在日セルビア大使館の書記官に丁寧な質問メールを送った。 しかし、回答無し・・・。 私は数回セルビア大使館を訪問したことがあってその書記官に面識があり、彼からのメールにお返事よろしくお願いしますと念押しまでしたのに。
今思えばすでにこのあたりから、雲行き怪しくなっていたのである。
そして11月、私たちは日本で結婚。 セルビア大使館に言われたとおり、婚姻証明書(そういう書類は実は存在しない。 正しくは「婚姻届受理書」)とそのセルビア語訳(大使館のスタンプ付)を用意して、いよいよセルビアへ・・・ 入国は11月14日。 ノービザ期限の3ヶ月目は翌年2月14日である。
■1stショック@ニシュ市役所
セルビア到着の翌週、まず婚姻証明取得のためにニシュ市役所に行った。 日本で準備した婚姻届受理書とそのセルビア語訳を出す。 窓口担当者はそれを見るなり、「この書類は使えません」と一言。 え、ええぇーっ!? なぜならオリジナルの日本語の書類と、セルビア語の書類が同一の内容だという証拠がないし、そもそも日本語オリジナルの書類が本物かどうかの証明もないからだという。 本来は、その書類が正規の文書だということを国際的に証明する“Apostile”がなければ、受付は不可能なのだそうだ。 大使館のスタンプに「これはオリジナルと同じ内容だ」という記述があるじゃないかと言っても埒が明かない。 少なくとも、オリジナルと翻訳の2書類が綴じてあり、綴じ部分に割印がなければ意味がないという。
ちなみに日本語の書類にApostileを受けるためには、日本の外務省で申請しなければならない。 今更そんなこと言われても!
■大使館サマサマ
困った私は、ベオグラードの日本大使館に電話をした。 対応してくれたのは親切な領事担当者。「ああ、日本のセルビア大使館っていい加減で当てになりませんし、市役所もあまり仕事を良く知りませんからねぇ・・・ 分かりました。 私から市役所に電話して掛け合ってあげますから、ちょっと待っててくださいね」
結果、Apostileに関しては譲歩したが、やはり手持ちの書類では受付けてくれないという。 領事担当の交渉により、日本大使館で発行した婚姻証明書に、セルビア外務省のスタンプ(Apostileに似た証明をするらしい)をもらえば、OKということになった。
日本には婚姻証明書などという書類はないが、日本大使館で時々、現地での手続きの便宜を図るために発行することがあるそうだ。 よって、セルビア語または英語で発行され、日本語のものは存在しない。
ダンナサマの仕事の都合もあり、ベオグラードの日本大使館を訪問したのは12月半ば過ぎ。 ニシュからベオまでは高速道路で3時間近くかかるから、そう気軽には行けないのだ。 ともあれ婚姻証明書を発行してもらって、外務省でスタンプを押してもらい、一安心。
■2ndショック@ニシュ警察署
改めてニシュ市役所で婚姻証明書発行の申請。 年末に差し掛かったこともあり、発行を受けたのは1月初旬となった。 やっとだよ・・・。 この時点ですでにセルビア入国後2ヶ月になろうとしていた。
さあ、いよいよ警察へ。 婚姻証明書もらってきたよ!と窓口に提出するも、そこにいたのは前回と違う若い男性担当者。 私のパスポートの入国スタンプを見て「入国後2ヶ月近いですね。 外国人登録は入国後1週間以内なんだよ」 そんなぁ・・・ 話が違いすぎる!!
しかし、ダンナサマがどんなに説明してもNOの一点張り。 「ホントなら罰せられるところだけど、そうだね、ここからならブルガリア国境が近いから、そこまで行って、一旦出国して新しい日付の入国スタンプをもらいなさい。 そしてすぐ申請すれば大丈夫だから」と代替案を出した。 近いったって、車で2時間くらいはかかるよ・・・
その担当者、私が帰り際に「日本人って、LとRの発音の区別がなかなかできないんだって?」とのたまった。 ああそうだよ。 だから何だってんだよ。 セルビア人だって英語のHの発音ちゃんとできへんやんか。 ムカつくなあもう!
ずっと後で分かったことだが、法律上は「無査証で入国後、滞在等の在留資格を取得する場合には、入国後72時間以内に手続きを行わなければならない」らしい。 なーにが「入国後1週間以内なんだよ」だ。 うそばっかり。 発音がどうとかくだらない知識を披露する前に、自分の仕事をちゃんと勉強してくれよ。
しかしなんでわざわざ、ブルガリアなんかに行かなきゃいけないんだ?! 悔しいやら腹が立つやらどうしようもないけれど、仕方ない。 国境まで行ってただ引き返すのも何だし、せっかくだからソフィアまで行ってやろうと、ソフィアに詳しい友人を誘うことにした。 しかし予定した日は大雪。 改めて決めたその日もまた雪で延期し、やっと行けたのは3ヶ月のノービザ在留期限を9日ほど残すだけとなった、とある日曜日だった。
■3rdショック@セルビア/ブルガリア国境
早起きして友人夫婦を同乗させ、いざ出発。 ソフィアに行くのもいいよねと思い直してドライブ2時間、やがてセルビア−ブルガリア国境にさしかかった。 まずはセルビア側の出国審査だ。 道の100mほど向こうにはブルガリア側の検問所がある。 車のウィンドウからしれっとパスポートを渡す私。 しかし担当官の様子がおかしい。 「君、ちょっと来なさい」。
恐れていたことが起こった。 友人を車に残してダンナサマと2人で呼ばれた別室では、係官が私のパスポートをしげしげと眺めている。 ダンナサマと係官はなにやら色々会話しているが、セルビア語なので全く分からない。
20分近く経っただろうか、ダンナサマが手招きをした。 何も聞かされないまま、彼の後について車へ戻る。 彼が担当官と握手をしているので、万事OK? と思ったら、彼は国境を越えることなく、Uターンをしたのだった。 「!?」
話を聞くと、ノービザ期限内でも、居住地登録をしていないというのが引っかかったらしい。 どんなに説明しても頼んでも拝んでも、出国を許されなかったのだそうだ。
「でも、3ヶ月はノービザで滞在できるんだよ。 前もセルビアに2週間くらいいて何も登録しなかったけど、問題なく出られたじゃん。 なんで今回は通れないの?」 「彼らの前で『なぜ』という質問は意味がないんだよ」 「少なくとも、何がおきているか私に話してくれたって良かったんじゃない?!」 「警察ってのはね、まず誰に対してもすべてを疑ってるもんなんだよ」 「私だって自分のことだし、自分で説明したかったのに!」 「あのね、彼は、君を国境を通そうかどうか、考えている風だった。 彼の機嫌一つで君のパスポートは取り上げられて、前科持ちになってしまう可能性さえあったんだよ。 そこで僕が君と会話して、下手に相談していると勘繰られてもいけないと思ったんだ。 ただひたすら、穏便に頼み込むほかないんだ。 結局埒が明かなかったから、おとなしく引き下がるしかなかったのさ」
もう・・・なんてこと! 信じられない。 今まであんなに右往左往させられて、今日だってわざわざ友人まで早起きさせて、2時間車を走らせたあげく、ただ引き返すしかないなんて。 悔しくて悔しくて、涙が出てきた。 友人夫婦も、私にかける言葉をなくしていた。 しばらくして「大丈夫?」と聞かれたけど、私がやっと発した言葉は「あなたたちには申し訳ないけど、私、こんな国、本当に大嫌い!!」 ダンナサマも「まったく、今回ばかりは僕もこの国、最低だと思う」と言っている。 すると友人はすかさずニッコリと「Welcome to our club!」 もう笑うしかなかった私。 しかし事態は何も解決していない。
■エライ人に話が通って一発逆転、しかし・・・
ダンナサマの両親にはかねてから事情を話してあったが、改めて「もう本当に、どうしていいか分からない」とこぼしたところ、「警察病院に知り合いがいるから、話してみる。何とかなるかもしれない」と力強い言葉。
翌日、早速義母から電話があった。 その知り合いから外国人登録担当部署のエライさんに話が通り、穏便に手続きをしてくれるよう計らってくれるとのこと。 すぐに警察に出向き、そのエライさんとの面談。 「まあ、大丈夫です。 手続きしましょう」。 おお、助かった・・・えっ、なんかおかしくない? あんたのタコな部下のおかげで大変な目に遭ってるんですが。 お詫びの一言ぐらいあってもいいんじゃないでしょうか? しかしここは黙ってお礼を言い、とりあえず、諸申請を済ませた。 居住地登録だけはその日に完了。 この時点で2月7日・・・ノービザ期限まできっちり1週間を残すのみである。
その数日後、ダンナサマは警察に書類の出来を聞きに行くが、今度は担当部署の引越しで手続きが遅れていた。 しかも私の場合最初の申請だからベオグラードに書類を送る必要があり、さらに遅れるとのこと・・・待つほかない。 そうしてなすすべなく、入国後3ヶ月目の2月14日は過ぎてしまったのだった。
■インタビュー?尋問?
実は私は、翌週の2月23日から、日本に1週間ほど一時帰国する用があり、少々焦り始めていた。 心配したダンナサマは前日に、再度警察に様子を聞きに行ってくれた。 家で待っている私にくれた彼の電話の第一声は「これから10分後のバスに乗って警察に来れる?」 はぁ? ・・・聞けば、外国人登録に際しては、必ず居住地に警察の訪問があるらしい。 でも私の場合、日本人だということやこれまでの経緯もあり、警察署での簡単なインタビューで済むという。
私は仕方なく、あわてて支度して警察へ出向いた。 通された部屋にいたのは感じの良い若い女性担当者。 「このインタビューは通常の手続きで、私もいつもしていることですから、心配しないでね」。 彼女には悪いが、私の心は、もう猜疑心いっぱいである。 (へぇー。 通常の手続き! そんなものがこの国の警察にあるんですか。 それでいきなり今日になって「インタビューします」ですか)
彼女は書類の設問事項に従って質問をしているらしい。 名前や日本での住所など通りいっぺんのことに始まり、日本やっていた仕事や給与、政治活動に関与していたか、家族全員の名前や職業、など。 驚きは「あなた方はどこでどんな風に知合ったのですか?」 何!? 別に隠すことじゃないし、彼女と友達になれば、ご飯でも食べながらむしろ得意げに聞かせてあげたっていいけどさ、完全にプライベートなことじゃん。 なんでここで聞かれなきゃいけないんだー! そのほかにも根掘り葉掘り、いかにも旧社会主義的慣習が残っている感じだ。 ・・・まあしょうがない。 彼女だって仕事なのだろう。 とりあえずインタビューを終え、最後に聞かれた。「何か不自由していることはありませんか?」 「いいえ、夫も家族も友人も、とてもよくしてくれますので。(公務員のアホさかげんにはとてつもなく不自由してるけどね!)」 「他に質問はありませんか?」 「いいえ、特に。(たかが登録の手続きに何でこんなに大変な目に合わなきゃいけないのかさっぱりよ!)」 「では、これで終わります。 ビザも外国人登録もまだできていませんけど、申請は済んでいますから、明日の出国も何も問題ありません。 セルビアに戻られたら、書類を取りに来てください」 ふぅ・・・これでなんとかなりそうだ。
■4thショック@空港
2月23日。 私はダンナサマと一緒にベオグラード空港にかなり早めに到着した。 帰国便はベオ−ミュンヘン−成田というルートである。 さてチェックイン・・・とルフトハンザカウンターに行くと、ミュンヘン空港が悪天候のため、乗るべき便がキャンセルだと言う。 当日乗継ぎできる代わりの便は、ベオ−フランクフルト−アムステルダム−成田しかない。 しかもフランクフルト行きは5分後の出発・・・! 私はダンナサマとしばしの別れを惜しむ間も許されず、ルフトのお姉さんに引っ張られるように出国審査へ向かった。
審査官は女性。 パスポートを出す。 パスポートにはさんだ居住地登録証はあっさりと引き抜かれ、保管(?)された。 彼女はセルビア入国時のスタンプを見つけると、指を折って数え始めた・・・。 「あなた、入国後3ヶ月以上経ってますね」。 キターーーー!! 「そうです。 ビザの申請も外国人登録も申請済みですが、手続きが遅れているだけです。 ニシュ警察では、問題なく出国できると聞いてきました」。 そんな説明も無駄なようだ。
彼女は隣の審査官と話したり、どこかに電話をかけたりして、急ぐ気配など全くない。 ルフトのお姉さんがジリジリしている。 ダンナサマもゲートの外から心配そうに見守っている。 「3ヶ月以上はノービザで滞在できいないんですよ」 「分かってます。 だから、全部申請済みなんですってば! お願いしますから」 彼女は再度誰かに電話した後、しょうがないなーと言う感じでなにやらノートにメモをつけてから、私のパスポートに出国スタンプを押した。 助かったー! 飛行機の出発を5分ほど遅らせたけど。
■5thショック@ニシュ警察署再び
つかの間の日本滞在から戻って、3月4日。 もうさすがにビザもできてるでしょうと警察へ。 しかし・・・あの親切なお姉さんはいなくて、代わりにいたのは男性担当者。 「まだ書類はできてないみたいですねー。 あとは彼女じゃないと分かりません。 あ、居住地登録証は?」 「空港で出国時に取られました」 「ああそう。 じゃあもう一度居住地登録申請してください」 むかー。 変な話だがセルビアでは、警察関係のあらゆる申請書は文具店で購入しなければならないのである。 居住地登録申請書は110ディナール。 わざわざ買いに行って、また警察へという二度手間が頭にくる。 何で事前に言ってくれないかなあ。 おまけに、引越し後のこの部署、いまだに電話も引かれていないので、事前にあの彼女がいるかどうか確かめて行くこともできない。 ビザができ次第、彼女から電話をしてもらうという約束を取り付けただけで、この日は帰るしかなかった。
数日後、居住地登録に行ったとき、書類はまだだったが、電話はようやく引かれたようで、彼女の番号はゲットしてきた。
■6thショック 〜 もう誰も信じない
そして今日、3月11日金曜日。 いまだに警察からの電話はない。 この文章を書きながら、これまでの怒りが改めてまとめて沸き上がっていた私は、仕事から帰ってきたダンナサマに、警察に電話するよう頼んだ。 向こうから連絡してくるんだからと乗り気じゃなかった彼だが、電話をおいた後「ビザ、できてるって」と一言。 月曜日に受取りにいくということで話がついたと言う。
ああああああもううううううこれだから!!! 電話をくれるっていう約束はどこへ?! 嘘つきは誰? あの男? それとも彼女? とにかく警察なんて、もう絶対信じない!!
自分のことだから自分でケアしなければならないとはいえ、約束を信じて彼女からの電話を待っていたら、永久に待ち続けることになったのだろうか。
そして果たして月曜日、私は無事にビザと登録証を受け取ることはできるのだろうか。
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なお、こちらの日本大使館にもらったしおりによると、セルビア・モンテネグロの法律は、次のようになってるそうです。
「当国では外国人は、90日以内の観光・商用等の短期滞在のケースを除いて、入国後24時間以内に居住地を管轄する警察署において外国人登録を行わなければならない」
「無査証で入国後、滞在等の在留資格を取得する場合には、入国後72時間以内に居住地を管轄する警察署の出入国管理部門において、在留資格の変更手続きを行わなければならない」
「これに違反した場合には、3,000ディナール以下の罰金または15日以下の労役場留置に処せられる」
・・・こんな法律なら、手続き自体もスムーズにやってくれよ。 そうじゃなきゃ外国人はみんな不法滞在になってしまう(泣)