いってきます

金曜日はパリスにいきます。 パリスにともだちがあります。 エッフェルタワーがいくたべなければいけない。 さよなら先生。


これは、私が半年間日本語を毎週1時間教えた生徒の文・・・。 彼は今1ヶ月の研修でドイツにいて、その間は彼がブログに書いた日本語の短文を私がコメントで添削するという、交換日記のようなことをしています。 毎回なんと修正の多いことよ。 自分の授業の至らなさを目の当たりにしてがっくりくることしきり。 毎回のレッスンでの理解は良いように思ったけど、自由作文をあまりさせてなかったのが反省点です。


ところで最後の「さよなら先生」。 ・・・「しばらくして帰ってくることが予想されるときは『さよなら』でなく『いってきます』といいます」とコメント。 これも教えたじゃんよーと思いつつ、少し感じるところがありました。 これって、何気ないけどすごくいい言葉。 セルビア語だと「ヴィディモ セ」(≒ See you)かな。 でもそれなら街で出会って別れるときにも言えるし、やっぱり「帰ってくるよ」のニュアンスとぴったりは重ならない。


戦時中出征する軍人さんは、もしかしてこれっきりだと思っても「行ってきます」と言ったものです。 「さよならお母さん」では辛すぎるから。 帰ってくることに望みを託したかったから。 そうダンナサマに話すと「そうかー、イッテキマスっていい言葉なんだねえ」とウルウル・・・ (この人は忠犬ハチ公のあらすじだけでもみるみる涙を浮かべる) そういうところまでレッスン中に話せば、印象の残り方が違ったかもしれません。


うちでは、結婚当初からダンナサマが出かけるときには毎日「行ってらっしゃい」「行ってきます」で見送っています。 もちろん帰ってきたら「おかえり」「ただいま」、これもすてきな言葉ですね。 セルビア語ではみんな「チャオ」(「やあ」「じゃあね」などに使える気軽なオールマイティ)で済んじゃいますが、イマイチ気持ちが伝わりきらない気がしてああ言わせてます。 自己満足かもしれないけど、ここはなぜかこだわりたいのです。