空爆開始6周年

今日3月24日は、ユーゴスラビアNATO空爆を開始した日。 今年で6年になりました。 テレビでは特集を組んで、当時のビデオやその様子を語る人々のインタビューなどを流していました。
攻撃の名目は、セルビア警察・ユーゴ軍の施設を破壊するというものでしたが、実際は何の関係もないたくさんの民間施設や居住地域などが被害を受けたのです。
ニシュでも市場や病院が攻撃され、多くの民間人が犠牲になりました。 ここクネズ・セロの家からはニシュを見下ろすことができますが、ダンナサマによると、市内に爆弾が落ちるたびにこの家も揺れ、街のあちこちから煙が上がる様子が見られたとのこと・・・。
日本での報道の扱いは、あんまり大きくなかったように思います。 私は新聞でしかそのニュースに触れることがなかったので、今日テレビで爆撃の映像を見て、改めてショックを受けているところです。 これが、たった6年前の出来事だったなんて。 みんなどんなに恐ろしい、辛い目にあったことか、察するに余りあるものがあります。


国際社会では悪者にされることの多いセルビア。 特にアメリカ映画では、セルビア人を名指しで悪者扱いしているのをよく目にします。 空爆に至った成行きを簡単に説明するのは難しいですが、ことの始まりは、コソボ地方をめぐるセルビア人とアルバニア人の紛争が長引いてなかなか政治交渉が始まらない中、業を煮やした欧米がNATOによって介入した、というところでしょうか。
確かにセルビアが全然悪くないとはいえないでしょう。 だけど、いちいちよその国の揉め事に武力で割り込んで、挙句の果てに関係のない人まで犠牲にする権利が、はたして誰にあるんでしょうか。 アメリカのそういうところはキライ。 この日記を書く前に、改めてこの紛争の背景や経緯などを読み返してみたのですが、調べれば調べるほど、知れば知るほど、なんともやりきれない気持ちになってしまいます。


さらに興味のある方は、98年からベオグラードに住んで現地発の情報を送られている、大塚真彦さんのウェブサイト「旧ユーゴ便り」をご覧ください。  特にバックナンバーの99年あたりでは、生々しく当時の様子が語られています。